「所信」 社団法人 三木青年会議所 理事長 小藤 貴雅 “ 大 和 ” 〜変えないために、帰るのだ。我がまちと共生〜 昭和34年、三木の若き獅子達によって、(社)三木青年会議所は設立されました。 「帰りなんいざ、田園まさに荒れなんとす」 いま、我がまち三木市を感じ、見て、聞けば会員には、どのような声がきこえますか。我がまちは、古から播州地方の北に位置し、清流が中心部を流々と流れる清きまちです。かつては、その流々とした川を背に美しい城が佇んでいました。 城下には、商人が行き来して商いを行い、周囲の平野部では澄んだ水源から農耕が盛んでした。そこに住む人々は自信と誇りに充ち溢れ、素晴らしい人間性を誇っていました。 「君は自信が欲しいか。然らば努力をしてご覧。自信は努力の中から自然に湧いてくるよ」 我々、(社)三木青年会議所会員は、これから、新たな自分自身を見つけねばなりません。しかし、探せば探すほど、自分自身は見つかりません。つまり、自分自身を探すことが目的になっている以上は、何の発見も進展もありません。では、改めて会員は、自らの生きる意味を自分自身に問い質してみましょう。きっと、新たな発見があるはずです。 「あなたの生きる意味はなんですか」 我々会員は、人生から何をまだ期待できるかを問題とすべきではなく、むしろ人生が何を我々から期待しているのかを問題とすべきなのです。そのことを我々は学ばねばならず、また、人生に絶望している人間に教えなければならないのです。すなわち、我々自身が人生の意味を問うのではなく、我々自身が問われたものとして人生から体験されるのです。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生がそれぞれに課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことです。 「選択的心理眼を持ち、自らの強みと、弱みを見極めよ」 現代社会の強みと弱みは何でしょうか。その社会を一言でいえば高度な情報社会であるということでしょう。その強みと弱みは表裏一体。いわば基礎的な社会整備による影響が強いといえます。しかし、社会は、人の集まりにより成り立ちます。人が集まることにより、集団が形成され、共存社会の為に規律が存在するようになります。古来より、日本での法律規範は、高い道徳性と倫理観が存在した上で、あくまでも処罰の対象になるような事柄が、明文規定として記されていました。多民族国家では社会規範そのものから明文規定されています。つまり、日本は古来より高い人間性を尊重していました。では、個々を鑑みるといかがですか。家族や地域を愛していますか。目の前の相手を尊重していますか。それが出来ない人は誰からも敬われないでしょう。まず、それぞれが自分の目の前にいる人を愛し、尊重しましょう。そうすれば、皆が高い志を持つ人となるのでしょう。 「鏡に映る自分は、他人から見た自分自身」 いままで、(社)三木青年会議所は社会開発事業を多く行ってきました。これまでの過去の取り組みを見ますと、特に市民意識の醸成に関する事業を多く行ってきたと思います。では、この混沌とした現代社会において会員や、三木市民は何を望んでいるでしょうか。また、未来の三木市には何が必要でしょうか。それは、きっと地域を愛する心や、誇り、自信などが必要とされるのでしょう。ひとの心は、どこから生まれ、成長し、発展、成熟するのでしょうか。そして、その心の原点はなんでしょうか。それは今の三木市民、これからの三木市民などが共通した心の拠り所でなければなりません。きっと、過去からも、今でも、これからも三木市の人々が愛し、愛される心の拠り所が忘れられているのではないでしょうか。それは、きっと身近にあるはずです。そして、現代においてなすべきことを合わせ、これからの我らが愛する三木市を考えねばなりません。 「歴史は、この世界精神を体現した一人の卓越した人間、“英雄”により作られる」 これからの三木市を思い、考え、その心の拠り所とも言えるものが見つかった時、そこから、新たな“英雄”ともいえる人が出てくるのでしょう。その人は、社会の無数の中に存在し、これからの未来を創って行くべき人でしょう。しかし、我々は待つばかりではなく、その人を、又はその人々を探し求め、積極的に育成の機会を設けねばなりません。きっと人は、潜在的な未知なる能力を必ず宿しています。そして、何らかの優劣がありえたとしても、そこから個々の持つ個性を育めるからこそ、新たな機会から生きる意味を自覚し、“英雄”は大きく成長するのでしょう。そして、三木市の新たな歴史を作らねばなりません。自ら機会を創り出し、その機会によって自らを変えねばなりません。 「利が義と一致するほど“真利”である。義は利の本なり」 我々を含むあらゆる社団、財団法人は、公益法人制度改革の真っただ中にいます。これまでは主務官庁の認可により設立された公益法人たる社団法人も、今までの運営如何が適正であったのか、公益ともいえるような社会性があったのかが問われています。我々を含む多くの青年会議所は、地域の経済基盤の縮小と共に、会員数や予算の減少に苦しんでいます。社会の鏡ともいえる青年会議所ですから、社会の現実なのでしょうか。では、青年会議所が創設された時代の社会背景は、どうだったのでしょうか。今よりも裕福だったでしょうか。今よりも活気に満ち溢れていたでしょうか。我々は、もしかして自信を無くしているだけなのかもしれません。 折しも平成22年7月1日において、社団法人日本青年会議所は、公益社団法人へ移行しました。その中で、制度問題において新たな扱いなどが勘案されてきていますが、青年会議所運動そのものの志は、今も昔も変わりません。これからも、自らの変化で社会を、三木市をより良く変えていこうではありませんか。 「人間は結局、情熱だ」 我々会員は青年経済人として社会の中で生きています。この意味するところは、社会の為に生きていくリーダーであるということです。社会のリーダーである限り、我々は自己研鑚を日々、積み重ねていかなければなりません。では、研鑚とは、どのような機会なのでしょうか。きっと多くの人に接し、育てられる機会なのではないでしょうか。 しかし、機会を得ることが出来たとしても、それが万人に機会になるとは限りません。まず、我々は率先して機会を求め、得ることが必要です。きっと、“成功はゴミ箱の中に” 「ひとは生きている」 昨今、様々なメディアから色々な時事が報道されています。その報道を聞いていますと、一見、まさしくその通りだと思われるようなことも多数ありますが、そのような時ほど、もう一度考えて見ましょう。もしかして、社会問題として報道されたとしても、ともすれば個々の家庭における問題なのかもしれません。また、学校教育の問題も話題になる場合がありますが、これも、もしかすれば家庭教育の問題なのかもしれません。きっと、社会全体が、社会そのものに多くを望み過ぎているのかもしれません。 もし、そうであれば問題の解決の糸口は見えません。 何故なら、それは自分自身の問題であるからです。“禍は慎家の門に入らず” 「奇跡は起こすためにある」 我々は、今なさねばならないことは多数ありますが、その根本は一つしかありません。 きっと、昔を見つめ直し、その根源を辿れば、答えは存在するはずです。我々は、多いなる三木の歴史を見直さなければなりません。そして、我々が持つその思いを更に大きくし、実行に移さねばなりません。では、どのように思いを大きくすれば良いのでしょうか。 どうすれば新たな未来を切り開けるのでしょうか。 それは、社会に大きく問いかけ、思いを伝えるしかありません。 では、どのように社会に思いを伝えるのでしょうか。“道を信ぜよ、天然の釈迦なし” 〜Change before you have to〜 我々は、思いを一つにし、これからの愛する三木市を創造せねばなりません。 財貨を失ったということは、いくらかを失ったにすぎない。 気を取り直して、新たなものを得ればよい。 名誉を失ったということは、多くを失ったことだ。 名誉を獲得すれば、人びとが考えなおすだろう。 勇気を失ったとういうことは、全てを失ったことだ。 我々は、青年会議所運動を更に発展させる為に、大いなる和を作らねばなりません。 そして、「明るい豊かな社会」を実現しましょう。 <基本方針> ・・地域の志を高める取組み ・・地域の心を一つにする取組み ・・青少年が志を誓う取組み ・・未来の英雄を育成する取組み ・・会員拡大に関する取組み ・・大いなる和の創造 |
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